永禄2年(1559年)3月6日徳川家康と正室築山殿の長男として産まれる。幼名は竹千代。武勇の誉れ高く、15歳での初陣を皮切りにその後も勇猛果敢な働きで家康を大いに喜ばせた。戦国時代の習慣により当時同盟関係にあった織田信長の娘、徳姫と結婚。その後信康と改名。順風満帆に思われた人生を突然の悲劇が襲う。敵国である武田氏との内通を疑われ自害を命じられてしまうのだ。これは信康の資質に恐れをなした信長の謀略との見方があるが、信康は自らの命を断つことで徳川家を守る決意をする。

そして天正七年(1579年)9月15日、当地二俣城にて切腹し短すぎる生涯に終止符をうったのである。このときの信康は21歳であった。※解説には諸説あり

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◆時代 ︓ 戦国時代 – 安土桃山時代


◆生誕 ︓ 永禄2年3月6日(1559年4月13日)

◆死没 ︓ 天正7年9月15日(1579年10月5日)

◆改名 ︓ 竹千代(幼名)→信康

◆別名 ︓ 次郎三郎、岡崎三郎(通称)

◆戒名 ︓ 騰雲院殿隆厳長越大居士 / 清瀧寺殿前三州達岩善通大居士


◆墓所 ︓ 岡崎市鴨田町広元の成道山松安院大樹寺岡崎市鳥川町字下辻の若宮八幡宮 / 浜松市天竜区二俣町の清瀧寺 / 静岡市清水区江尻東三丁目の江浄寺


◆氏族 ︓ 松平氏、徳川氏


◆父母 ︓ 父︓徳川家康、母︓築山殿(築山御前)


◆兄弟 ︓ 信康、亀姫、秀康、督姫、秀忠、忠吉、振姫、信吉、忠輝、松千代、仙千代、義直、頼宣、頼房、市姫


◆妻  ︓ 正室︓徳姫(織田信長の娘) / 側室︓浅原昌時の娘 / 側室︓日向大和守時昌の娘


◆子  ︓ 登久姫(小笠原秀政正室、生母︓徳姫)、妙高院(本多忠政正室、生母︓徳姫)、萬千代(生母︓日向時昌女)